ブログ記事へ予防線を張り巡らすに至る病

お前と戦いたかった...

 

建前『戦いたかった...』

現実 ☞ 戦わないために予防線を張る

 

 

ブログ記事における予防線張りについて調べてみると、意外と同じ旨の記事を出している人が複数名いて(大物ブロガーも二名ほど言及している)、ブログを書くときにどこまで予防線を張るのかという命題は、わりと物書きに共通した理(ことわり)らしく、程度に差はあれどそれなりの心労になっている節があると見える。

 

例えば、『鼻が大きい男性は性欲が強いです』と書いたとしたら、主語がデカい認定の民の存在が脳裏にチラつく。そういう人たちは、『全員がそうであるかのようにレッテルを貼るな!』というテンプレ反論を述べるきらいがある。(ちなみに、鼻が大きい男はマラがデカいだとか性欲が強いと証明できる科学的根拠はない)

 

常識的に考えれば、上記はあくまで傾向の話をしているということがわかるはずだが、その手の人はアスペなのか何なのか、逐一説明されないと理解できず憤慨の意を見せる。だから予防線(ないし補足)が求められることになる。

 

したがって、先ほどの話を例にすれば、予想される反論を回避するために次のような表記が求められる。

 

 

元の表現 ☞ 『鼻が大きい男性は性欲が強い』

回避したい反応 ☞ 『全員がそうであるかのようにレッテルを貼るな!』

  1. 『鼻が大きい男性は性欲が強い傾向にあるとされています』
  2. 『鼻が大きい男性は性欲が強いとされていますが、そうではない人も当然います』
  3. 『私の気のせいかもしれませんが、鼻が大きい男性はスケベな気がします』
  4. 『鼻が大きい男性は性欲が強い気がしますが、あくまでこれは私個人の感想です』

 

回避したい反応2 ☞ 『それの何が悪いんだ!』

  1. 『鼻が大きい男性は性欲が強いとされていますが、これは決して悪い意味ではありません』

 

回避したい反応3 ☞ 『鼻が小さくてもスケベな男はいる!』

  1. 『鼻が大きい男性は性欲が強いとされていますが、鼻が大きくない男性にも性欲の強い人はいます』 

 

 

...アスペの介助かな?

ここまでやってられるか。

 

 

何かを主張していると、その内容に対してありきたりな反論や揚げ足取りをしてくるであろうアンポンタン非実在人間の仮想敵が脳裏に浮かんでくる。

 

彼らから繰り出されるお前だって論法、論点のすり替え、人格批判攻撃、早まった一般化、藁人形論法...危惧すればキリがないが、日常的に見かけるものはその分経験則としてケアしやすい。

 

だが仮にそれらを逐一対策していったとしても、抱かれるかどうかもわからない異論に思考を巡らせ、その被害を最小限に抑えようと足掻く姿は、まるで独り相撲のようで虚しくなるだろうなとは思う。それにそこまで徹底的にやる人もいないだろうし、それをやっていたらエントリ内容の大半が予防線で埋めつくされることになる。もはや予防線を張るために記事を書いているのではないだろうか。

 

賢い人はしょうもない予防線を張らない。だから予防線を張る私は頭が悪い。

 

【ケアの例】  

『りあむちゃんはかわいい』

???『それはあなたの感想ですよね???』

 ↓

(うぜぇ...)

『りあむちゃんはかわいいですが、これは私個人の感想です』

 

 

『〇〇ってバカだなぁ』

???『お前もバカだろ』

(出たよ "お前だって論法"...)

『〇〇ってバカだなぁ...。あ、でも私の方がバカだった!w』

 

 

『このアニメ面白い!』

???『どこがだよ、センスなさ過ぎて草』

 ↓

(あっそう)

『私はこのアニメが面白いと思いました。しかし中にはつまらないと感じた方もいらっしゃるかと思われますが、どう感じるかは人それぞれです』

 

 

『〇〇は△△らしいです』

???『ソース出せ!作り話だろ!』

ハァ~(クソデカため息)

『◆◆社の▲▲によると(url付き)、〇〇は△△らしいです』

 

 

『消えなさい』

???『お前が消えろよ』

(チッ!!)

『私と共に消えなさい』

 

 

『京都女性の平均カップはEです』

???『私の京都の知り合いはみんなAだけど...』

(はいはい "早まった一般化" ね)

『京都女性の平均カップはEですが、これはあくまで平均であり、全員がそうであるというわけではございません。中には小さい方もおられます』

 

 

     

 

 

 とまぁこんな感じで、(こう書いたらこう異論を挟む輩がいそうだな...せや、あらかじめ反論を書いて(予防線を張って)おこう!)となってしまうのが、一部のブログ書きの悩みとされている。私も例に漏れずそれだ。

 

ブログ 記事 予防線

 

そのスタンスで記事を書いていると、記事の内容が無駄に伸びる伸びる。また、相手が強敵(粘着質)であると仮想した場合となると、反論に対する反論に対する反論に対する反論までもを想定することがあったりで、いつの間にか話の本筋から関係の無いところに行ってしまい、『なんじゃこりゃ...』とメチャクチャな出来栄えに驚愕し、記事の下書きを削除してしまうこともある。いままで何記事消したか思い出せない。

 

仮想敵と勝手に戦って消耗するなんてマヌケすぎるし、かなりバカバカしい。

 

 

しかし、予防線を張っておかないと、今度は意図を汲めずに誤った解釈をする者も出てくるだろうし、思った通りの批判をされてイラつくこともある。だから張ることをやめられない。『その難癖は想定済みだ(キリッ)』っていうのをやって出鼻を挫いてやりたいという気持ちもある。

 

いやまぁそもそもコメ欄解放してないんだから、思った通りの反論を想起されたとしても、わざわざ異論を投げてくる人などいないし、仮に反論があったとして、ガチな輩は直通でお便りを寄越してくるだろうからモーマンタイ。ただ、記事を曲解されるのは個人的にすごく残念なんだよね。だから張ってしまう。

 

『そういう意味で言ってるんじゃないのになぁ』っていうのを減らしたい。

 

例えば、『援護して』の ❝Cover me❞ を『毛布かけて』の ❝Cover me❞ に曲解されたとしたら、わけがわからなくなる。普通の人は想像力やシチュエーションで補完できるにせよ、中にはできない人もいるだろうし、私はそういう人を無碍にしたくないという思いもある。

 

だからこそ、そういったミスリードを誘発しないようにわざわざ香ばしい補足を入れることもあるけど、大多数の人からすれば要らない補足だったりする。

 

なんにせよ、どこまでケアするのかという線引きについては、表現をする以上欠かせないものになると思う。内容がなんであれ、表現をする以上は反論や難癖やいちゃもんや揚げ足取りで無限にどつかれることになるから、もしメンタルが弱いのなら、蜘蛛の巣の如く幾重にも予防線を張り巡らせた方が良いかもしれない。

 

SNSの場合は文字数の制限上、予防線を張りきれないだろうけどね。

 

 

まぁ元も子もない話、予防線を張ったら張ったで今度は予防線を張った人間性についてからかわれるため、結局のところその手の野次を回避することはできまーーーーーーーーーーーせん...ということで、バカチンからの攻撃はあきらめよう。

 

 

さいごに

見えない相手のことを考えて四苦八苦しながら記事を書くと言うのも、なかなか滑稽でバカバカしいので、予防線張りはほどほどにしようと思いましたが、これはあくまで私個人の感想です。

 

中には予防線をしっかり張っておいた方が良い人もいると思いますので、あまり真に受けないでもらえれば幸いです。ならびに、当記事は予防線を張る行為を否定するものではありません。

 

 

上記をご覧の通り、予防線についての記事で予防線を張りまくった。そしてこの一言も、"予防線に関しての記事で予防線を張るというネタ" に気付いてもらえない可能性を阻止するするための予防線だ。これはひどい。

 

 

予防線を張りまくっている様は、幽霊を空想して怯えている子供、あるいは集団ストーカーに怯える某岩間のようでなんとも可愛らしいのである。めっちゃやむ~。