バーチャルユーチューバー(VTuber)とルッキズムの話

バーチャルユーチューバーはルッキズム社会をどう変化させるのか

 

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以前に多少ルッキズムに対する御託を並べたところで、今日はバーチャルユーチューバー(以下 "VTuber")に対する思い付きの講釈を垂れ流したいと思う。

 

 

VTuber Eliminated Lookism

VTuberに用いるアバターを以ってすれば、女子供老人だろうと、誰でもかわいい or かっこいいアニメーションテイストのキャラクターに仮装することが可能となる。

 

ということで、VTuberでは容姿や年齢による差別を受けることが無く、リアルに蔓延る

 

  • 見た目が可愛い or かっこいいから何もしなくても人が寄ってくる
  • ブス or ブサイクだから実力に見合わない不当な低評価を受ける

 

という、ルッキズムの悲劇が起きることは無い。(VTuberでもキャラデザの差異やモデリング技術の微々たる差はあるだろうが)

 

 

従来、自己の容姿に引け目感じている配信者の多くは、マスクなどを装着して配信を行っていた。マスクをしていることが容姿を気にしていることの確証にはならないが、実際問題世の中で訳もなくマスクをしている者は、だいたい容姿にコンプレックスを抱えており(実は歯並びが悪いとか)、顔を少しでも隠したいと思っている者が多い。

 

(そもそも中途半端に隠すくらいなら最初から顔出さなきゃいいのにね。どういう考えでチョイ出ししてるんだろうか?)

 

上記で話したような容姿に劣等感を抱える者にとって、仮の姿で活動できるVTuberはとても都合が良いものと言える。容姿というハンディキャップを排することができるからだ。

 

 

VTuberの誕生は、誰もがお面を被って同じラインで横に並ぶことが許された瞬間でもある。容姿のせいで配信者としてのスキルを不当に腐らされている有能な者にとって、これ以上の物はない。

 

まぁそもそも、VTuberの中の人が "そういうもの" だと決めつけるのは良くないんだけれど、やっぱり "そういう邪推" が多いから、どうしても悪い想像を抱いてしまう。今まで容姿が割れた例もあらかたファンがガッカリしていたみたいだし。

 

 

そういう憶測とは、例えばこういう感じ

 

  • VTuberが嫌いな要因の1つに中の人がめちゃブスなんやろなって想像してしまうことだな。
  • VTuberを純粋に楽しんでいる人に対して、中の人はブスだとかおっさんだとか言う野暮な真似はやめましょうよ。
  • そもそも女はオブジェクトそっちのけで自撮りしていることからしても自分見て見て属性でしかないのに、わざわざ顔隠してVTuberやってる時点でオバサンかブスに決まってるだろ。

 

 

平等には優遇もない

ルッキズムの無いVTuberによって誰もが同じラインに立てるということは、差別が取っ払われるのと同時に優遇が無くなるという意味でもあるため、だからこそ本来的な中身・人格や芸才の差が人気へと如実に反映されることになる。

 

『ブスブサイクだから何やってもダメ』が無くなる対価として、『かわいいかっこいいから何もしてなくてもOK☆』が無くなる。したがって、リアルでどちゃくそ可愛い or かっこいい人がVTuberをやるメリットはほぼないだろう。強いて言うならリアルバレを回避できることくらいか。

 

『リアルバレしたくない』『二次元への変身願望がある』といったそれら特殊な事情がない限りは、イケメンや美女は素直に顔出しして活動した方が、ルッキズムのプラスの恩恵を享受することが出来る。したがって、概ね彼らがVTuberのお面を被る必要性はないだろうと考える。そんなことをしなくても容姿だけで人気を出せるであろうし、若い女性なら尚のこと容易だ。

 

実際、YouTubeでサムネイルに露出多めの若い女性が映っている動画は、それだけでチャンネル登録者数や動画内容の如何に依らずとも多くの再生数を叩き出しているし、視聴者の下心を刺激して集客するべく作為的に際どさを演出している者も少なくはない。ただし男の場合は性的魅力は基本的に売り物にならないし、イケメンというだけでサムネホイホイすることはやや難しいだろう。

 

男ってどうやったらサムネホイホイできるんだろうな。バキバキの腹筋かカリ太チ〇ポかな。ここには性のアド差がある。何の話してんだろ。

 

 

話が無駄に脱線してしまったが、まぁともかくVTuberで素顔を隠しつつ仮の姿で活動することは、"姿を晒すことに何らかの引け目を感じている、けれども目立ちたいと思っている者" にとっては非常に好都合なものとなる。

 

とりわけ日本は顔出しというものについて否定的な傾向があることからも、より一層VTuberの普及率が高くなりやすくなっているのだろう。安易に顔を晒すくらいなら美麗な仮面を被って衆目を集めたいのだ。

 

ルッキズムの無い容姿バリアフリーの世界、それがVTuber。またそれだけというわけでもなく、なりきり趣味であったり変身願望がある者にとっても有用なコンテンツとなっていることだろう。

 

 

VTuberでルッキズム社会は強化されるのか

VTuberのように、美麗になる(醜い部分を晒さない)ことがスタンダートになった場合、対照的に醜いものがより一層際立つようになるため、VTuberが蔓延した社会では社会全体のルッキズムが強化されそうな気がしなくもない。

 

綺麗すぎる世界や無菌すぎる社会ほど、そうではないものが悪い意味で際立ってしまう。今後もVTuber市場が拡大していくとするならば、いずれブスブサイクは以前にも増して弾圧されやすくなるのではないだろうか。

 

 

『所詮マイナーのVTuberごときでルッキズムが強化されるわけがないだろ』と思うのもやぶさかではないだろう。その反論は十二分に理解できるし湧いてくることは予想している。

 

とは言え、今後VTuber絡みの仮想アバター技術・サービス等(VRchat系)が発展していくと考えた場合、人は従来以上に "外" と "内" で容姿のギャップが誕生し始め、社会活動用のアバターばかりがいたずらに容姿インフレしていく。すると人々の美的基準は青天井で上昇していくだろう。

 

例えば、仮想空間コミュニケーションであるVRチャットが日常化したと仮定した場合、人は美麗にクリエイトされた他人の外面だけを見るようになるし、そこに醜い容姿の者は存在しなくなる。(奇をてらって逆張りアバターメイキングする者はいるだろうが)

 

そんな世界が当たり前になったとすれば、人々の醜悪なものに対する耐性が低下していっても何ら不思議ではない。それらがルッキズムを強化することになる。

 

真にバーチャルでルッキズムを取っ払うためには、ネット上や動画の中のみならず、SFの世界のようにどんな場所であれ常時アバターを被っていられるようにならなければならない。そうでなくてはいつか自分本来の姿が露呈してしまう。

 

 

実際、現時点でも世の自撮り写真の多くは加工されていて、実際のものとギャップが生まれている。そのギャップが今後どんどん拡大していくものと考えればわかりやすい。外用の自分と実物の自分が徐々に乖離していくのだ。

 

想像していたその人像と実際のその人像がまったく異なるものになってくる。VTuberにおいても、『中の人もアバターみたいにイケイケなんやろなぁ...』と思っていると、予想に反して痛い目を見るかもわからない。

 

外の仮面はそれだけミスリードを誘発しやすく、見ている側もバイアスにかかりやすいだろう。

 

 

VTuberとエイジズム

VTuberは先述のルッキズム云々に大きく噛んでいるが、実は年齢至上主義───いわゆるエイジズムとも密接に関わっていると考える。

 

VTuberを見てみると、男性アバターに比べて女性アバターの方が多く、どれもこれもピチピチのティーンエイジ(年齢設定の無いアバターも多いが)で比較的セクシーな容姿をしている。だが、その中に妙齢以降と思しきアバターは見当たらない。

 

いや、ひとりいた。

 

バーチャルおばあちゃんねる

バーチャルおばあちゃんねる

引用:バーチャルおばあちゃんねる CM4【tiktok編】 - YouTube

 

だがこれはネタ枠だから例外だ。

 

 

ではここで、試しに人気VTuberのラインナップを適当に挙げてみよう。

 

  • キズナアイ
  • 輝夜月
  • ミライアカリ
  • シロイルカ
  • 猫宮ひなた
  • 月ノ美兎
  • ヨメミ
  • 静凛
  • 樋口楓
  • 名取さな
  • 周防パトラ
  • 金剛いろは
  • 夜桜たま

 

年齢が表記されていないにしろ、容姿的に鑑みて、どう見てもほぼ全員20歳未満と推定される。小ジワ一つないし学生服を着ている者すらいる。

 

アイドル業界や売買春の需要を見ればすでに知れていることではあるが、VTuber界も同じことで、若い者ほど人が容易に集まってくる。要はティーンすこすこエイジズムだ。そしてVTuberはバーチャルゆえに歳を取らないため、設定上では永遠のピチピチを保持できる。エイジズムサイテー。

 

女子アイドルも、いつまでも若いわけではない。太ももの露出や胸の強調を伴う“かわいさ”を、日本女性の魅力の核とする発想は、それらが失われた女性には価値がないとのエイジズムと表裏一体である。

引用:炎上した「キズナアイ」問題…日本文化が描いてきた女性像から考える

 

どれだけ綺麗事を言っても、男性が年収で価値をはかられるように、女性は容姿と年齢でその価値をはかられる。したがって、推定ティーンであるVTuberは、最も需要のある時期を永遠に継続させることができるという爆アドを有している。

 

 

本題には関係の無い話だけれど、可愛さしか売り物にしようとしないであぐらをかいているから、いよいよシワが増えてバイバイされるんじゃないのかと。歳だけ見て購買するのも薄情というか下賤だが、結果としてどっちもどっちだよねと思ってしまう。

 

武器を一つしか持たない人の武器が失われたらそりゃ需要無くなるでしょ。男だって例えば金だけの男から金を引っぺがしたら、みんな手のひら返したかのように寄り付かなくなると思うよ。

 

ジェンダー特有のバリューだけに縋るのは危険なことでもある。

 

 

VRガチ恋勢は "器" さえさればそれで良いのか

アイドルに恋をするファンがいるように、VTuberへと恋をする、いわゆる "ガチ恋勢" というものが存在する。そして驚くべきことに、 "のらきゃっと" という中身がおじさんである美少女VTuberへとガチ恋をする猛者までいると聞き及んでいる。

 

のらきゃっと 中身

(のらきゃっとの中の人)

 

 

中身のおじさんが割れてもなお、 "のらきゃっと" という器へ真面目に恋をしている男がいるということは、容姿がかわいい女の子なら人格が性同一性障害だろうがオッサンだろうがまったく構わないという熱烈ファンの倒錯ぶりが表れている。これもうホモなのでは?

 

容姿だけで恋をするというのは、これはもうルッキズムの極致だと思うのだが。ガワが良ければ後はもうどうでも良いのかと思いたくなる。こんなん『胸部に隆起、股間に穴が開いてりゃあとはどうでも良い』と考えている見境のない不埒男と大差ない。入れ物の姿云々しか考えてないんだから。

 

 

自分が何かを愛好する際は、はたして自分が相手の何を愛好しているのか、そのところをよく考えてみると思考に深みが出るかもしれない。

 

美しい外観を愛するものは、その本質も愛していると思っている。しかし、その美しい外観が崩れ去っても、その本質を愛し続けられるものか。

 

───ウィリアム・シェイクスピア

 

実際問題先の話は笑い話ではなく、世の中には "容姿だけ" で人を選別し、愛好するか否かを決める人がいるということの残酷な根拠になる。造形が良ければ中身が何だろうがどうでも良いし構わないと考える人はきっとそれなりにいるのだろう。

 

俗に言う一目惚れもこれに近いものと言える。一目惚れなんてものは相手の人格などまるで考慮せず、その入れ物の美麗さに呆けているに過ぎない。それで愛だの何だの大仰なことを告げる茶番は、見ていて眉間にシワが寄りすぎておでこだけ麻生太郎と化す。

 

ルッキズムのない世界であぶれるのは誰か


 

ルッキズムのない世界であぶれるのは誰か

先ののらきゃっとガチ恋のケースを例に捉えて考えた場合、いずれSF世界のようにアバターへ常時扮することが可能となった暁には、年齢性別関係なく交友して恋愛する、そんなバラエティーに富んだ世界になるのかもしれない。

 

そしてそのルッキズム依存から脱却した世界では、ルッキズムの正の恩恵にあやかって現を抜かしていた人間の一部は、一転して取り残されていくのかもわからない。

 

形を見るものは、質を見ず。

 

───夏目漱石

 

※ちなみに私は夜桜たま推しです、よろしくね

 

 

 

 

 

*1:本エントリは2019年1月に投稿した記事の再投稿版になります