自身へ寄せられた批判を、『攻撃』や『悪口』と解釈してしまう人

自身へ寄せられた批判を、『攻撃』や『悪口』と解釈してしまう人

 

とあるおっちゃんが放ったバズり投稿によると、今の若い人は『批判』をただの『悪口』と捉えていて、仮に真っ当な批判、相手の論理的誤りを指摘するための批判だったとしても、

 

  • 攻撃された
  • いちゃもんをつけられた
  • マウントを取りに来た
  • 喧嘩を売られた
  • 人格批判された
  • 闘争の意思を見せられた
  • ディスられた
  • ケチをつけられた
  • 和を乱した
  • 人の気分を害した

 

と捉える節があり、批判はすごくネガティブで縁起の悪い行いとされているのだそうだ。もはや批判とディスりの分別がなされていないのだと。

 

彼曰く、今の世間の若者は、たとえ誰かが論理的に間違っていようと、それを指摘すること/されること自体を喧嘩のふっかけとみなし、批判の声を『場を乱すきわめて厄介な不調和音』と認識しているのだそうだ。また、そのせいで、『頓珍漢な考えも正されずにぬるま湯の井戸に浸かっている』と苦言を呈していた。

 

確かに、何か言われるとすぐ『マウント取り!マウント取り!』と脊髄反射で騒ぎ立てる人が増えたあたり、その気配が無いと言えばウソになるかもわからない。マウント取りという言葉で、相手の人格批判という別の問題にすり替え、批判から逃げる人も少なくはない。

 

無論ただのマウント取りも多いのだけれど。

 

 

口出しを許せない人

批判を悪口だと捉えている人を例に挙げてみると、行儀やマナーが悪いことを指摘されて不貞腐れる人、逆ギレする人で、その手の人は自分の落ち度を指摘されると、あからさまに気分を害する。歩きたばこを注意されてキレる人であったり、その他秩序を守らないことを指摘されると、正誤よりも批判されたことに対して怒り始める。

 

この手の人は、自分がやっている行動の是非ではなく、『自分が相手に注意・指摘された』ということについて真っ先に反応・憤慨するため、批判してもその批判を正しく受け取ってはくれない。

 

『自分がクソ野郎にダメ出しされた、ムカつく!』ということしか頭に無いのだ。

 

そうやって考えてみると、この問題はぶっちゃけ若者に限った話ではないと思える。批判されて感情的に発狂しているのは、おじさんおばさんにも同数いると思うし、むしろ、『自分が正しい』と経験で強化された主観を頼りに妄信している(価値観が固まるから)中高年の方が、批判されたことを感情的に受け取りやすいのではないのだろうか。

 

しかも、中高年は若者からの物申しをとりわけ嫌がる。『ガキのくせに文句あんのかコラ』『年下のくせに』といった姿勢からレスポンスが始まるあたり、中高年も若者も大差ないだろうと。

 

とまぁ、こんな数字として出せない話をしていても仕方がない。どこまで行っても、『それってあなたの感想ですよね?』で話が行き詰まる。別に若者 vs 中高年の対立を煽りたいわけでもないから、世代差の話はこのあたりで終いにする。

 

 

正当な批判の文化が無い

外国云々という出羽守じみた話ではないが、日本の文化として、"正しい批判" とその受け取り方というものは根付きにくいと思う。

 

義務教育過程上でディベートのようなことをする機会も少なく、また元より争いを好まないことから、他人に(表面上では)あまりとやかく言わず、なおかつ正解至上主義であるという点で、多種多様な見方が育ちにくいため、他者と意見がぶつかる機会がなべて少ない。

 

ゆえに、他人から飛んできた批判を正確に聞き取り、相手の意図や発言の趣旨を汲みつつ正しく対処する能力が欠落しており、素直に折れたり折衷することもできず、落としどころを見つけられない。それに加えて、正しい批判の仕方もあまり知らない。

 

そう、私もそうだが、正しい批判のノウハウを持ち合わせている人が少ないのだ。批判とは、相手の論理的・倫理的誤りを指摘すればいいものを、わざわざ『痴呆』だの『障害』だの『老害』だの『幼稚』だの『キモい』といった侮蔑の言葉を付け加たり、頭が悪い───『お前はバカだ』という旨をおまけに付け足したり、そのように相手をいたずらに糾弾&挑発することで、意味もなく感情論のリングへ引きずり出している。

 

仮に煽り耐性があれば、そういった揶揄の蛇足を水に流しつつ、批判だけに対処できるだろうが、そうできる人など滅多にいるものではないだろうから、批判に余計なものを付け足した時点で、批判は批判として機能し難くなると言える。文字通り本当に蛇足だ。

 

そのような『批判とディスりのハイブリッド』は、使い所をよく考えた方が賢明だろう。だいたいの人はディスり文句に意識を取られ、はらわたが煮えくりかえる結果になる。したがって、真面目にディベートや指摘をしたい場面において、いちいち余計なディスり文句を足すべきではない。

 

したがって、簡潔に注意の話に例えれば、『歩きタバコは迷惑なんだよ。そんなこともわからないのか』と言うのではなく、『歩きたばこは迷惑なのでやめてほしい』と言えば良い。『そんなこともわからないのか』という悪口は余計だ。

 

 

批判を悪口としか捉えられないことにも問題はあるが、自分の放つ批判文へ無駄に悪口を添える人にも問題はあるだろう。この両ポジションが歩み寄らない限りは、非難の受け入れや議論なんてものはまともに成立しないと、少なくとも私はそう思う。

 

 

トロールにご用心

最後にひとつ、批判をする者の中には、ディベートを装いつつも実は叩きたいだけの、いわゆる "インターネット・トロール" 的なタチの悪い存在もいるであろうから、相手の目的はよく窺った方が良い。

 

話が通じそうなら申し開き、快楽目的で叩きたいだけの相手に見えたら、スルーと遮断に徹するのが丸い。