私がデマとフェイクニュースをネットに流す175の理由

デマを流すのは頭が悪くて、ネット上で注目を浴びることに喜びを感じちゃう人です。

 

───西村博之

 

喜び、感じるんでしたよね?

 

※面倒くさいからデマとフェイクニュースとただの嘘を一緒くたにして書く

 

 

Faith/Grand Orgasm

あいつらがデマとフェイクニュースをネットにドクドクと流し込んでるの♡

 

あらゆる虚偽を本物に変える願望機、それがフェイ(クニュー)ス。

 

魔女狩りをはじめとして、中世ヨーロッパでは多くのデマが流れ、数多の罪なき人々がお気持ちと推定有罪で断罪されていった。魔女狩りのようなオカルティックデマを、現代の私たちは『信じるなんてバカでしょw』と一蹴するだろうが、そんな理性的な構えを見せる私たちも、実際はデマに飲まれているし、場合によってはそれに欠片も気が付いていない。

 

いわゆる傀儡・マリオネットであり、人為的に造られたイナゴだ。

 

 

エッセイという言葉の語源となった『エセー』という著作で名を馳せるフランスの懐疑主義哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュは、こうした思い込みやデマ・無知を啓蒙する箴言として "Que sais-je?" (私は何を知っているのか) を遺している。

 

デマへの便乗を防ぎ、虚を見破るには自他含め疑うほかないが、しかしそれができる者は決して多くない。人間は得てして自分が正しいと思うものだから。

 

だがソクラテス然り*1、本当の智者というものは他人はもちろん自分でさえも疑うものだ。何ならデカルトに関しては、(あくまで哲学的にだが)自己の存在すらも疑っている。最強の懐疑論者である彼なら、きっとデマになんて引っかからない。

 

自分の知っていることは正しいのか、自分の手に入れたこの情報は果たして正しいのかと振り返ることが、デマの拡散を防ぐ第一歩となる。

 

 

大将!今日も疑ってる? 

例えば私が記事中で、『統計によると、成人男性の約1割は女性の使用済み下着を購入した経験があります』と言ったら、きっと過半数の人は『はえ~...すっごい...』と信じるだろうし、ソースを適当に12省庁のような権威性のある名詞、あるいは世界の有名大学にしておいたなら、きっとさらに訴求力が増す。

 

ましてそこにグラフ画像を付け足したら、さらに一段と説得力が強化される上に、『〇〇庁調べ』と名の付いたグラフ画像が貼られたときの説得力と言ったらこの上ない。

 

だがソレが嘘っぱちのデマだったら?

 

ということについて考えたことはあるだろうか。少なくとも私には無い。『ばっちゃが言ってた』、『地下の石碑に刻まれていた』などと書かれていたらさすがに疑うだろうが、大抵の情報源には疑いの目を向けることもない。

 

 

嘘か真かを気にする人は少ない 

嘘か真かを気にする人は少ない

 

賢い人ならば情報のソース元を疑い、真偽を確かめるだろうが、私も含めて大多数の人は賢くなく、

 

  • 誰が言っているか(権威性)
  • シェア数が多いか

 

という表面的な要素・指標のみでしか、その情報の信ぴょう性をはかっていない。ソースなんて面倒なものは意識の埒外で、目にした情報が虚であることなど露も疑わない。塊に便乗するだけのイナゴなら尚のこと軽率だ。

 

嘘をついても人は信じる。ただ権威をもって語れ。

 

───アントン・チェーホフ 『手帳』

 

いやそれどころか、自分に有利な情報については、例えデマである気がしていても───場合によってはデマだとわかっていても拡散するだろう。

 

例えば、『日本の女性は世界一不幸という統計が出た』というポストがなされたとして、女性の権利を拡大したいと願う人たちは、この情報の真偽を確かめもせず勢いに任せてプッシュする。自己の有する信条や主義を後押しする方便───大義名分に用いる。そして、『日本は男尊女卑だー改善しろー』と声高に叫ぶだろう。

 

自分に都合の良い意見なら嘘か本当かはどうでも良いし、都合の悪い意見ならばソースを精査し、あるいは『デタラメ抜かすな』と噛み付く、看破する。

 

そう、真偽を確かめるのは自分に都合の悪い意見だけだ。

 

したがって、誰も不快にしない情報は誰にも検められることなく、デマが半ば真実と化す。これはある意味優しい世界なのだろうか。

 

 

人が気にしているのは、真偽よりも "自分にとって気持ち(都合)の良い意見かどうか" ということである。だから世の中には事実無根のデマがたくさん蔓延っているし、これからも無くなることはない。

 

プロパガンダや承認欲求のためにホラを吹く人間と、その意見に賛同する支持者が勢いだけで拡散し、そこへバズに飛びつくイナゴの大群が加わり、多数派となって手がつけられなくなる。これが世の "理" だ。

 

しかもタチの悪い事に、フェイクニュースの方が人を焚きつけすい内容をしているため、真実よりも虚偽の情報の方が拡散されやすいというMITの研究データが存在する。(リテラシーガチ勢はこれがフェイクか確かめよう)

 

 

もはや、ひろゆきの言う『嘘を嘘だと見抜く能力』は求められていない。いや実際には必要なのだろうが、多くの人には『嘘を嘘でもゴリ押す能力』の方が重要となっている。例えば誤魔化すに際して、

 

  • 偉い人曰く
  • 〇〇(肩書)の知人が言ってた
  • 闇に葬られているから証拠が無いが、私がエビデンス

 

このように、信憑性の低下を防ぐ雑な予防線はいくらでもある。今や虚言を虚言と看破されない能力のある嘘つきがアツい。

 

フェイカー #MeToo

また御覧の通り、私もデマ100%のフェイク漬けプロパガンダエントリを日々量産している。

 

史実のローマ帝国第5代皇帝ネロは、おっさんではなく『余だよ♡』とはにかむ素敵な女の子だし、沖田総司も織田信長も千利休も宮本武蔵も杉田玄白も葛飾北斎も女の子。あなた方は虚偽の歴史を教え込まれ、洗脳されているのだ。歴史はすべて華奢な女の子たちが動かしてきた。

 

 

デマを見破るための労力は釣り合わない

デマを広めることに労力は必要だろうか?

 

いいや、デマの流布に労力や下ごしらえは要らない。強いて言うなら、同情・賛同を誘う文言をこしらえておくくらいか。デマを喚くことは、真を述べるよりもずっと容易い。自分が信じる願望や流したい嘘を、皆が広げやすいよう危機感を煽る内容にして発信すればよいだけだからだ。

 

ところが、デマの吹聴が容易であるにもかかわらず、デマをデマであると見破ることには、程度に差はあれどそれなりのコストが必要となる。だからこそ、デマはある意味で言い得な節があると言っても過言ではない。

 

この際デマを殺人予告に例えるとわかりやすい。殺害予告は言うだけならタダであり、何の手間もかからないが、一度殺害予告が発せられると、警察をはじめとして多くの人員リソースが割かれ、嘘であることが判明するまでに多大な損害が発生する。もはやそれを発すること自体が、相対する意図した相手へ損害を与えることができる。

 

要するに、デマは受ける側だけが迷惑を被るケースが多い。だから後を絶たない。

 

デマに対する然るべき報復を望むのであれば、デマであることを公共性のある場で突き付け、拡散し、発言者を "嘘つき" であると証明して権威を貶め、ネームバリューと信用性に泥を塗りたくるか、あるいは炎上でお馴染みの社会的抹殺を下すに他ないだろう。そうでない限りは言ったもの勝ちになる。

 

私の個人的な意見としては、デマを流す人が報復を受ける仕組みが必要だと思う。『デマは嘘でした!』という証明だけで話が片づけられてしまうであれば、デマで何らかの被害を受けた側がやられ損のまま幕引きを迎えてしまうからだ。やり逃げはNG。反撃してデマ吹聴者に償ってもらうまでが遠足。

 

デマが社会的抹殺の危険を孕むのなら、意図的にデマを流した方こそ社会的に抹殺されるべきだろう。つまりこれは、私自身も抹殺対象になるジレンマだ。

 

 

疑わない人間は流される

とあるツイッターの実験では、ユーザーの59%はリンク先へ目を通さずにシェアしているという結果が出ている。(このデータもフェイクか否かを見破らないとね)

 

したがって、この特性を悪用すれば、タイトルを盛りに持ったフェイクニュースを拡散することだってそう難しくはないだろう。私みたいな無名の凡愚はともかく、そこそこ影響力のある人間なら、意図も容易くデマを流布させることができ、市民感情を刺激・扇動することができる。

 

人々を操作したいデモスピーカーと、情報の真偽を疑わず確かめず、あまつさえ本文に目を通すことすらなくシェアする人々。いつだってこのコンボによってデマは拡散される。

 

 

『自分はあいつらとは違う』という矜持を持ちたいのであれば、情報をつぶさに精査していくべきだろう。しかし残念ながら、これは綺麗事であり理想論だ。

 

なぜなら、現代は情報化社会であるとともに、情報過多社会であり、いちいち細かに情報の真偽を確かめていられないという悲しい側面があるため、デマがまかり通りやすくなっていて、その上ツイッターのような同族が徒党を組んで増長し合うコミュニティツールが主流であることから、イエスマンで固まるその特性上、ポジションありきで着色されたデマや作り話が拡散されやすい。

 

ツイッターでは、プロパガンダと訴求力2倍付けのギンギン状態で発信され、明らかなデタラメでもシェア数から滲み出る権威の勢いでゴリ押す始末。

 

これらは誰でも軽々しく発言をできるようになったからこその弊害と言える。バカッター然りだ。

 

 

ウソに流されないように気を付けよう

すべての情報の真偽を確かめることはできないし、そもそもそこまで徹底する必要性は無いだろうが、先鋭化を煽るような危険な情報や、何やらプロパガンダの意図が見え隠れする不審な情報については、常々疑いの目を持っておいて損はないだろう。

 

『魔女狩りなんてあり得ない』と嘲笑する自分が、それと同等のことを無意識にけしかけられないよう、ほどほどに気を付けるべきだ。現代にも魔女狩りをけしかけた人たちと同じようなホラ吹きが存在し、各々が都合の良い方向へ動かすために画策している。

 

まぁ中にはただの承認欲求目当てもいるだろうが。いや、むしろそっちの方が多いのかもしれない。

 

 

いずれにしても、私は今後ともデマに流されつつ、自身も胆汁100%のフェイクニュースを流していく予定だ。私自身ウソの情報を気付かず、そのまま愚かしく垂れ流しているかもしれないため、通りすがりはともかくとして、今後もここに来られる方は私の嘘に気を付けてほしい。

 

私の誤りを正したいやつ、至急、メールくれや。

 

*1:無知の知