大将! 今日も(エコーチャンバー)やってる?

大将! 今日も(エコーチャンバー)やってる?

 

このご時世、自分の嫌な人や気に入らない価値観は遠ざけ、あるいは淘汰して然るべきだと思っている人は少なくない。だから気の合わない人や価値観の異なる人との関わりを避けて通るし、折衷もできず我慢もしたがらない。あいにく私もこの類のぬるま湯民に該当する。ノーという意見が飛んでくる環境を甘んじて受け入れたくない弱虫、ぬるま湯に浸かるクソザコナメクジだ。

 

そしてこのぬるま湯を好む文化はSNSでも見られる、というよりSNSが一番形成されやすい。イエスマンや同じ主義主張の人としか連まず、入手・共有できる情報が徐々に偏っていき、誰もその人の誤りを否定しなくなることはおろか、場合によっては社会的に見てイカれた考えでも『すごい』と持て囃される。

 

例えばオウム真理教が教団内で当然のごとくまかり通るのと同じように、一見おかしな思想でも恒常化してしまえば、それがその人たちにとっての当たり前───正義になる。

 

 

そのような環境においては、徐々に社会規範や常識とかけ離れた価値観が形成され、日に日に常軌を逸し始め、やがては常識外れな考えを正しいと思うようになり、間違いを否定する人の不在ゆえに論理的な誤りが正されることなく、そのとち狂い具合は無限に増幅していく。こうして "誤謬詭弁極論感情論アーアーキコエナイ暴走機関車" が完成となる。

 

なお上記のモデルケースは私であり、私のような人間が陥っている状態を "エコーチャンバー現象" と言う。意見の多様性を排除することから生じる思想の先鋭化。自分に都合の良い意見ばかりを追った末に、徐々に価値観が歪んでいく。

 

おそらくは各々が『あー、あいつらのことじゃん』と思い浮かべただろうが、ひょっとするとあなた自身もすでにおかしくなっている可能性すらある。お互いにイカれていると思っていれば世話がない。

 

おっとなんだか『本当はだれが正気なのか判別がつかない』的なホラー展開になってきたな。

 

 

冗談はともかく、誰でも "その現象に飲まれている人たち" を容易に推定、想像できてしまうことから、この現象に陥っている人はそこら中に散在していることがわかるし、今後は時流上むしろこの傾向が悪化していくだろう。

 

気に入らない人たちの声を聞かず、(主観で)絶対に誤っているであろう異論を排除するべきだという狭量な価値観の蔓延する社会では、誰もが自分に都合の良い意見にばかり耳を傾け、各々がその道の "スペシャリスト" となる。

 

 

 

世間では『多様性!多様性!』と聞こえの良いことを言っている人たちが台頭してはいるものの、結局のところ真面目に多様性を提唱している者など本当に一握りしかいないように見える。

 

なぜなら、その多様性云々言っている人たちでさえ、先鋭化した思想のコミュニティに属し、帝国を築いていることが往々にしてあるからだ。多様性を唱える派閥の中で多様性が容認されていないという皮肉。ここは突っ込んではいけない。

 

あの人たちが唱える多様性とは、言葉通りの多様性ではなく、概ね自分に都合の良い部分だけを受け入れる思想のことを指すのだろう。多様の語意が聞いて呆れる。

 

 

上っ面の正しさという名の承認を求めて

今後は言葉通りの『正しさ(事実や真実との一致)』を求めるよりも、『自分は間違ってないんだ』と恒久的に感じさせてくれる環境作り───実際の論理的・倫理的正しさを欲するのではなく、『自分を否定するものが存在しない心地良い環境づくり』がムーブメントを獲得していくのではないだろうか。

 

特に本来的にまともでない傾向にある人は、その自己肯定感の低さ故に肯定してくれる同志の存在と、その集会場となるコミュニティを求めている。そしてその彼らがコミュニティで獲得するであろう安息が指し示すものは、自らのおかしな考えを正しさとして認め合っている状態に他ならない。彼らは『君は間違っている』という "正しいお節介" は求めおらず、自分がそのままでいても良いと思える肯定意見───何でも肯定してくれる年下JKママのような、安らぎを得られる存在を求めて彷徨っている。

 

こうして、いずれは色んな主義の人間がそれぞれのぬるま湯に引きこもるようになるだろう。

 

エコーチャンバー蔓延る世間には、

 

  • 『否定されたくない』
  • 『肯定されたい』
  • 『自分は間違っていないと信じたい』

 

といった願いが体現されているのかもしれない。

 

 

はて、果たして現代にモンテーニュのような聡明でアグレッシブな男は存在するだろうか。

 

もしも私が、強い魂をもった手ごわい相手と渡り合えば、相手は私の側面を攻め立て、右に左に私を突きまくり、その思想で私の思想を投げ飛ばす。嫉妬、名誉、競争心が私を駆りたて、私を実力以上に高める。したがって、一致ということは話合いにはまったく退屈な要素である。

 

───ミシェル・ド・モンテーニュ 『エセー』