はい!ロマンを落とすてth..しまったのですが【Romance is dead】

はい!ロマンを落とすてth..しまったのですが【Romance is dead】

 

うわああああっ

ちょ待って行かないで

あああっ

落としちゃった!

 

ウワアアアアアアア......

マアアアァァァァ......

うわっ、落としたあああっ!

 

無垢な純情落としちゃった!

 

 

社会『んっどうかしましたか?』

 

はいっ!

ロマンティックな感性を落とすてth..しまったのですが

 

社会『あ、それ後でぇうんじゃあ探しますから、ぁこ..車庫まできてください。ねっ?』

 

はぃ...

 

社会『ちょっと待、おとなしくしててくれる?ね?』

 

ぁはぃ...

 

社会『ロマンが必要ない人も乗ってるから』

 

 

憧れや神秘的精神運動は衰退しました

今どきロマンなんて不合理なものを考えたり、追い求める人は少ない。現代はロマンを求める欲が刺激されにくく、そして消し去られやすくなっている。


平成以降においては、昭和やそれ以前に跋扈していた根性論者やロマンチストをはじめとする、精神・神秘主義者が次々と敗走していった。

 

 

大抵の人が子供の頃に抱くであろう感動や夢、体験、ノスタルジックな風景や情緒のある雰囲気というものは、このご時世、インターネットを通じてあらかじめ体験談や動画像として情報を早期に入手でき、実際にはそれが想像していたほど大したものではないこと、あるいは幻想でしかないことを早期に思い知らされ、そして成すすべなく受け入れてしまう。

 

ほぼすべての未知(だったもの)は、あくまで皮相的ではあるものの、先回って知ることができてしまう。

 

例えば、夢見た輝かしいアニメ業界が、実は薄給クソブラックの人材使い捨てであるだとか、優しさに溢れてそうな介護の現場が世紀末パンデモニウムだとか、夢の国・某ネズミ園の裏側は、ハラスメント蔓延るブラック企業であるだとか、そうした夢も希望も無い現実の断片が、体験しなくとも情報として否応なしに見えてくる。やめろー🐹

 

そのほか、神や幽霊が恐らく存在しないであろうことや、伝承等に見られる各種のオカルトや言い伝えがデタラメばかりであることも知っている。仏教もイスラム教もキリスト教も、それらに登場する神様は、大昔の厨二病が想像した妄言であることだと察しがついている。その根拠の最たるものとして、例えばキリスト教国家のアメリカでは無宗教者が年々増加の一途を辿っている。

 

そのように、昔の人が死ぬまで信じていたことがペテンであると、まだ恥毛の生えぬ幼いころから容易に判別できてしまう。

 

 

異性に見るロマン

仮に情報インフラが発達していない社会があったとして、異性との "まぐわり" が少ない人間というのは、ヤリチンヤリマンと比較して、異性に幻想を抱く節があると予想できる。

 

例えば、感動的な恋愛少女漫画を読みふける純情な少女が、何の努力も無しに王子様が迎えに来るサクセスストーリーを本気で夢見たり、男が大抵ヤリたいだけのスケベなお猿さんだと知らなかったり、あるいはAVで女を誤解した男が、女はみんな甘い囁きに攻められてビクンビクンと悦ぶと勘違いしたり、女性に腋毛やヒゲが生えることを知らなかったり、メイクアップ後とすっぴんの容貌に、雲泥の差があることを知らなかったり、それらの幻想が経験不足とステレオタイプとフィクションの影響によって形成される。(この私の主張もある意味ステレオタイプだが)

 

そして、それらの幻想を幻想と思い知らされる機会もあまりなく、それらのロマンは、実際に体感して幻滅するまで抱き続けることになる。

 

ゆえに、そういう社会では良くも悪くも夢が───ロマンがあり、幻想は持続しやすい。フィクションにありがちな甘い物語を本気で夢見るロマンチストは、決して少なくなかったはずだ。

 

 

だが今は、社会の本音や現実が嫌というほど垣間見える。

 

(非常に極端な表現をさせていただくと)男たちは、女が金にがめつく利己的であり、偽ることに卓越した生物であることを知っているし、その女たちと言えば、男が女という性を慰みものとし、女性を隷属させたがる征服者であり、身体目当てでその場限りのお世辞や心にも無い美辞麗句を並べ立て、女性をおだてることを知っている。

 

ありがちな口説き文句に見える安易な下心は、 "ネットで見かけた他者の体験談" や、恋愛系インフルエンサーの啓発によってお見通しで、優しいメンズという繕った仮面の奥にある、心のイキり立った股ぐらは見透かされている。

 

そうして、自分を迎えに来る白馬の王子様も、向日葵の如く無垢でまぶしい女の子が存在しないことも、経験則ではなく客観的な情報として知っている。

 

しかし、ロマンとして語られるものの筆頭である『愛』が絶対に存在しないとまでは皆思っていない。自分を打算抜きで愛してくれる存在がきっとどこかにいると信じ、その相手を探し求めている。

 

だがその一方で、それを得ることがどんなに困難なことかも知っている。口先だけの愛なら世間の中に散見されはするものの、本当に愛と呼べるものを発揮している人などほとんどいない。大体のそれは『愛している』と抜かしつつ、いざ自分がピンチに陥ってしまえば、我が身可愛さで相手を置き去るだろう。

 

 

また、世の富豪が思っているほどアンビリバボーな生活をしていないことも知っているし、富める生活の側面にどんな苦労をしているのかも知っている。お金持ちの生活を覗くことによって、お金の有効性とそれを維持継続する苦労・気苦労をある程度察しているのだ。

 

さらには、ネットを通じて各地の絶景やイベントも、動画像として詳細に見取ることができ、『あの場所は、あの秘境は、あのイベントはさぞすごい雰囲気しているんだろう』という憧れを継続的に抱くこともなく、『ふーん、こんな感じなのね』という雰囲気が "ある程度" その場で理解できる。

 

極端な例を出せば、グーグルマップを使っての海外バーチャル路上観光だってできてしまうのだ。世界の車窓から from グーグルカーだ。ロマンもへったくれもない。

 

 

その他真面目な話として、スケベが夢見るJKスカート内部の光景だとか、その手のアンモラルな妄想を行動に映した『まずいですよ!』な動画だって、リスクを侵さずに視聴できる。エロ動画サイトなんてごまんとあるんだし、何ならSNSにも素人の自撮りポルノが当たり前のように転がっている。

 

 

でも結局、変態ロマンの筆頭とされるスカート盗撮動画で見えるものなんて、変哲の無いただの布きれなわけだ。実際に見なくても想像で補完できるはずだが、ともかく下着盗撮なんてのはロマンも消え失せるつまらない幕引きに決まっている。エアプだけど。

 

『なんであんなもののために、多くの男たちは人生をふいにしているんだろう』と思うのはごく自然な反応だ。だがロマンとは、得てしてそういう不合理なものなのだ。世間において、貧乳好きをはじめとするフェチズムがしばしばロマン扱いされるのは、つまるところ生物学的に不合理な拘りであることに起因し、彼らのような生粋の変態はある意味で割に合わない夢を追うロマンチストなのだ。

 

 

この社会では端末一つで多くのロマンが消え失せる。

 

多くの憧れの答えは、インターネットを通じてあらかじめ可視化されてしまった。今はヤンキーたちも全国制覇という夢を抱くことも無く、漢字のみで命名した不良チームを結成することもない。佐賀レディースチーム怒羅美、よろしくな!

 

 

愛だよ愛! ラブアンドピース!

愛だよ愛!ラブアンドピース!

 

そういう背景があるからこそ、現代人はロマンの欠片も無い合理性を有していて、その結果は各種の統計を見ればわかる。

 

例えば、男女関係にもそれは表れている。(ソースとなる文献や画像は直接引用しないが、厚生労働省の出生動向基本調査を参照すればわかるとだけ)

 

結婚について精神の安定や愛情を求める傾向は鳴りを潜め、特に女性は経済的余裕を求めるようになった。だから今現在の結婚は、恋愛の末に『しゅきしゅきぶっちゅー♡』で結婚するのではなく、『子供が欲しいから』とか『養ってほしいから(お金が必要)』という即物的な色が強まっている。つがいの愛情にはそれほど重きを置いてはおらず、恋愛至上主義は一歩一歩確実に衰退へと向かっている。

 

この様子をひねくれて表現すれば、しばしば揶揄される『男はATM』『女は子供を産む機械』の毛色が強くなっていて、あくまで明確な実利を求めて結婚するのだ。いや、この際 "契約" と言い直してもいいだろう。金と子供と既婚者アドのやりとり。

 

これをキュゥべえ的に言えば、コンビ二FCのように『僕と契約して、〇〇の実利を寄越せよ』といった具合だ。もちろん、あくまでこういった "傾向が強まっている" というだけの話で、そうではない人も大勢いるだろう。ロマンの末に結婚している人もきっとたくさんいる。

 

 

と、そんな調子なのだから、結婚のみならず、単なる人間関係においても、友情───フレンドシップなどという、俗に言うところの "旧態依然" で実体の無いもの概念を良かれとする風潮は廃れ、利害の一致を理由にした人付き合いが行われやすくなるのではないだろうか。

 

例えば、金の切れ目が縁の切れ目になったり、"〇〇(有名人)の友人" という肩書を求めてその人との関りを持ちに行ったり、いわゆる "現金なヤツ" が増えるように思える。具体的な見返りが求められる即物win-winな人間関係。

 

Twitter上の、ファボを入れないと相手も返してくれない現象と同じで、こちらが与えられるものが無ければ、他人は何もしてこなくなるかもしれない。感情は要らず、具体的なモノが欲しいのだから、そうなっても致し方ない。

 

具体的に相手へ利を生じさせられない人は、友達も恋人も配偶者も家族も持てない社会になるのかもわからない。職に関しては元来的にそういうものだが。

 

 

Romance is dead.

これらの風潮を、ニーチェの『神は死んだ(God is dead)』になぞらえれば、『ロマンは死んだ(Romance is dead)』とでも言えようか。

 

上条当麻が幻想を殺したように、そして科学の発展がキリスト教を殺したように、インターネットはロマンを殺した。

 

 

この社会における人々は、目に見えないものを徐々に追い求めなくなってきている。

 

ロマンだ?

愛だ?

セレブだ?

友情だ?

やりがいだ?

男気だ?

チラリズムだ?

ハードボイルドな男だ?

見栄だ?

根性だ?

叶いっこない夢だ?

思い出だ?

スピリチュアルだ?

 

『んなもんいらんから金か物を寄越せ』と、そのうち本当にそうなってもおかしくはない。

 

 

この記事の冒頭に登場する、心の迷いでロマンを落として(失いかけて)しまった青年は、より一層機械的な冷たさを増すこの社会に嘆き悲しみ、そしてそこへ同化しかけた自分自身の心の脆弱性、その自覚と自認に取り乱してしまったのかもしれない。

 

現代において我々が本当に愛するのは、その人そのものではなくて、その人が自己へもたらす便益ということになるのである。

 

───闇堕ちしたバステフ