過去記事を読んだらあまりのヘボさに恥ずかしさを覚えたの巻

過去記事を読んだらあまりのヘボさに恥ずかしさを覚えたの巻

 

先日5月12日に、過去ブログからいくつか記事のインポートを行った。今までもチマチマと行ってはいたものの、その日は一気に5記事以上をインポートした。ひじょーに疲れた(理由は後述)。

 

 

ちなみに私は過去記事をインポートする際、見えにくいようにわざと過去の日付で公開しているため、きっと気が付いている人はほとんどいないだろうが、これはあえてやっていたりする。すでに読んだことがある人もいるだろうという理由で、最新記事にしないように配慮(?)している。おかげで3月がほぼ毎日更新状態になってしまった。

 

また、現在私はこの通り "だ・である調(+話し言葉)" で記事を書いているものの、過去のブログにおいては "です・ます調" で書いていた。そのため、インポートしている記事も全てそのまま "ですます調" になっていたりするわけだが、このインポート記事のせいで、記事によって文体が違うという纏まりのない状態になってしまっている。

 

まぁチラ裏だしどうせ誰も気づかないだろうし、ならどうでもいいよねってことで。

 

 

チラ裏の極致を垣間見た四流ブロガー

チラ裏の極致を垣間見た四流ブロガー

 

私は過去記事をインポートした際に、一応として、誤字脱字のチェックやHTMLタグの修正、空白の調整を一通り行ったのだが、修正───いわゆる "リライト" すべき箇所が出るわ出るわで、『自分はこんなに雑なものを書いていたのか』と、自分で自分にびっくらこいてしまった。コレ他人が書いたんじゃないのかと思うものさえあった。

 

だから、記事によっては修正によってガラリと構成が変わってしまっている。

 

まぁ何がひどいって、具体的に言うと

 

  • 空白および行間の開け方がかなり適当
  • 誤字脱字当たり前(そもそもロクにチェックしていなかった)
  • 前後の文脈がおかしかったり、接続詞の使い方が変
  • 装飾を施し過ぎてアフィリエイターの記事みたいになっている
  • 予防線が多すぎる
  • 閑話休題が多すぎる
  • 無用な補足が多すぎる

 

ザッとこんな感じ。誤字脱字に関してもお馴染みのとおりだ。

 

ひとつ前の記事でも『AはBした』と書いたつもりが『BがAした』となっていて、意味がまったく通らなくなっていることに後から気が付いた。修正する前に読んだ人は首を傾げたと思う。あれは間違いです許してください。ついでに、本来 "真理" と書くはずだった部分が "心理" になってしまっていた。あわよくば流し読みで気が付いていないことを望む。

 

『ほとんどの人はサムネイルとタイトルと見出ししか見ない』ってニールセン大司教も述べていることだし、誤字脱字なんて誰も気づいていない...と思いたい。

 

 

そしてこれはただの言い訳になるのだけれど、私はほとんど見直しに時間を割いていないために誤字脱字が多くて、特に漢字変換(同音異字熟語)のミスが多い。

 

例えば、『務める』が『努める』になっていたり、『以外』が『意外』になっていたり、まぁかなり初歩的なやらかしだ。小学生に指さされてプギャ――m9(^Д^)――!!されるレベルだったりする。

 

そして幸か不幸か、喜ぶべきなのか悲しむべきなのかはわからないが、誤字脱字に関してマウントを取って...ではなく、指摘を寄越してくる人がいない。読者は誤字を発見しても優しい笑顔でスルーしているのか、あるいは端からまともに読んでいないが故に気が付いていないのかは定かではないが、明らかな誤字脱字でさえ指摘された例(ためし)がない。コメント欄を開放していた頃ですらほとんどなかった。

 

私としては誤字脱字でマウントを取ってもらってもかまわない。そっちの方が記事の早期修正に繋がる上に、茶化しにイラッと来て以降は誤字を犯さないよう気を付けるだろうから。

 

もっと性格悪い読者がいてくれても良いんだけど、性格悪い人は有名人への粘着で忙しいんだろうね。だからこんなチラ裏には性格良い人しか来ない(と思いたい)。みんな聖人君主なんでしょ。もし優しい人なら、このご時世でもお年寄りには優しくね。

 

 

ブログあるある『過去記事が恥ずかしい』

ブログあるある『過去記事が恥ずかしい』

 

複数のブロガーが次のように述べている。*1

 

  • 『過去記事を見るのが恥ずかしい』
  • 『リライトで過去記事の修正に着手すると、修正箇所の多さに唖然とする』

 

確かにその通りだった。自分で言うのも何だが、『よくこんなもん公開してたな』と言いたくなるものもあった。

 

いや、そうじゃない。記事のネタそのものが稚拙であることを悔いているのではなくて、誤字脱字や展開の雑さ、ボキャブラリーの貧弱さに唖然とした。いくらチラ裏感覚だったとは言え、あそこまで適当かつ乱雑に書いていたとは自分でも思わなかった。なんだろう、まるですべてが小並感のような記事...。

 

 

というわけで、今回はあえて『消費者意識の強い人たち』という22か月にリリースしていた記事を引用(セルフ開示)したい。刮目して共感性羞恥攻撃をくらえ😂

 

(原文掲載)

消費者意識の強い人

と聞いてあなたはどんな人を想像するでしょうか?

きっと、物をたくさん使う人を想像してしまっているでしょうが
この場で言う❝それ❞はそういう意味ではありません。

では何かと問われれば
自分が他人やコンテンツを利用(消費)して然るべきだと思っている人
です。

例えばの話をしましょう。

容姿が優れていて若いころからチヤホヤされてきた女性がいるとします。
自分から何かしなくても男性が向こうから言い寄ってくるので
「男性は自分を楽しませるモノだ」という認識になり、消費者意識が強まります。
あくまで彼らを替えの利くコンテンツとして捉えるようになるのです。


本人がそう意識しているかいないかは別として
価値観としてそう擦り込まれ
「自分が物事のマウントをとっていて然るべき人間だ」
と考えるようになるでしょう。

誰とは言いませんが
私の知っている人にその傾向が顕著に見られる人がいます。

本人は実のところ他人に全く興味が無いのですが
自分の空き時間ができたときだけ他人を暇つぶしのツールとし使うのです。

なぜ他人に全く興味がないか知っているのかと言うと、
本人がそういう旨の発言をボソッとしていたし、実際に疑問形で誰かにコミュニケイトしている現場を見たことが無かったからです。

誤解のないように言っておきますが
私はこういった人たちへの批判とその同調を得たくてこの内容を記したわけではありません。
別に誰かが被害に遭っているわけではないですからね。


最初に述べたチヤホヤされて然るべきと思っている人
に話を戻しますがチヤホヤされているのは「若い」「かわいい」
などと言ったアドバンテージがあるからであって
それらは年齢とともに失われ、やがて誰も言い寄っては来なくなり
ただ昔を思い出しながら鬱屈とした日々を送ることになります。
そして、巷の噂で耳にするような
若い娘や男に嫌味を叩くオバサン、お局様になるのです。

自分がモテていた(消費者としての意識が根付いていた)からこそ
昔と今のギャップを感じるようになり、ストレスを感じるようになるでしょう。

裏を返せば嫌味ったらしいオバサンは若いころは美人だったのかもしれません。

まぁそんなことはどうでも良いのですが
今日の内容を一言で表すなら

いつか消費者でなくなったとしても一度根付いた消費者意識は簡単には消えない

と言うことです。

広義的な消費者意識の意味合いは私が述べたようなそれとは齟齬がありますが
ここではどうかご容赦ください。

 

この内容でちゃんと推敲していれば、わりと良い記事になりそうな気がしなくもないが、私の程度が低すぎて何にもなっていないという。後でリライトするのもアリな気がしてきた。

 

ともかく、二年前の私はこんな記事を書いていたのである。

 

当時はそこまで『やべー』とは思っていなかったが、今見ると程度の低さに辟易とする。だけど、過去に書いていた記事を見てみると、今書き直したらきっと良い記事になりそうだと思うネタがいくつか見つかったため、今後いくつかリライト版をリリースするかもしれない。

 

まぁ、その前に溜まっている下書きを消化してからなんだけど...。

 

 

 

過去記事 is Beast

自分で自分の過去記事の程度が低い───恥ずかしいと感じるのは、つまり現在はそれよりマシになっているということで、実際としては喜ぶべきことなのだろう。逆に昔の創作物を見ても問題が無いと思うようでは、自分のスキルや内面が大して変化していないと言えてしまうわけだし。(あるいはすでに完成されていたとも考えられるが)

 

ただ、自分の過去記事を見たときに、現在の自分の考えとはまるで異なる旨を述べていることがあって、当時の自分からどれくらい考え方が変わったのかを知ることができる反面、まるで厨二病ノートを見せられているような*2...足をバタバタしたくなる感覚に陥る。文章のロジックが破綻しているなら尚の事だ。

 

ということは、『過去の記事がひでえ』と述べている自分のこの記事でさえ、一年や二年経ってから読んでみると『これはひどい』と感じてしまうのかもしれない。半永久的なループになりそうな予感だ。

 

 

過去の自分の書き物を見るのは結構心がこそばゆい。この感覚がよくわからない人は、小学校の時の作文や日記でも見返してみると良いだろう。きっと結構恥ずかしいと感じるに違いない。

 

そしてこれはファッションやふるまいも然りで、わりと多くの人が過去における自己の装いのダサさ具合に畏怖している。フィクションに影響された "無気力やれやれ系" や思春期の半グレ、意識高い系やスカルファッションやV系なども、没頭している間は自己を省みないだろうが、喉元過ぎれば超恥ずかしいに決まっている。

 

当時は何とも思っていなかったとしても、時間が過ぎてから見返したときに恥ずかしさを覚えることって結構あると思うんですよ奥さん。たまごっちのために当時のリーマンたちとなんか怪しいコトしてませんでしたか奥さん?

 

その話は夫に黙って墓まで持っていきましょうね。

*1:調べてみるとたくさんヒットするから、それがソースということで

*2:そもそも厨二病ノートなんて書いたことが無い