多くの人に伝染する権威者の誤謬

多くの人に伝染する権威者の誤謬

 

専門的な知識は、その道の権威者から得るべきというのは自明の理。

 

経済学者が述べる経済論、脳科学者が述べる心理学、大学教授が述べる専門的な論説、〇〇アナリストが述べる近年の傾向、オタクやインフルエンサーが語るマニアックな話など、分野は何でも構わないが、私たちはいつも、どこかの権威や有識者が述べる専門的な見識に関心を寄せ、主にそこから有力な情報を得ている。

 

 

彼らの唱える論説はたいていの場合、その権威性に違わず真なのかもしれない。その道に詳しい人が直々に得意分野を語るのだから、言うまでもなく情報の確度は高いだろう。例えば、素人の語る経済学より、経済学者の語る経済論の方が圧倒的に信憑性で勝るに決まっている。

 

しかし、高度な人たちが口にする論理や知識が、必ず真であるという保証はどこにもない。 猿も木から落ちるように、弘法大師が筆でアーン♡をするように、往々にして有識者も誤ったことを口にするものだ。そして中には、周囲を操るため(プロパガンダ)に自らの地位を利用し、何らかの嘘っぱちを作為的に流布する言論人もいる。

 

 

知らないことは否定できない

私たちの問題とは、その分野に対する専門性と知識に欠けているがゆえに、これらの有識者が述べた誤謬を、たいていの場合、誤謬と看破することができず(知識不足によって反証できない)、また、有識者が述べているからという理由で、ほぼ無条件に真として受け入れることを余儀なくされる。

 

世の中の多くの誤謬は、いや、もっと大胆にいえば、世の中のすべての誤謬は、われわれが自分の無知を公表するのを恐れるように教えられていることから、反駁できないものはすべて受け入れなければならないとされていることから、生ずる

 

───ミシェル・ド・モンテーニュ 『エセー』

 

『語り得ぬものについて、我々は沈黙しなければならない』という、言語学者ヴィトゲンシュタインの箴言からオマージングすれば、『否定できないものについては、我々は受け入れなければならない』と言える。

 

おそらく今、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている人がいるだろうから、一段と噛み砕いて表現すると、『すごい人が口にすることの真偽を確かめることが難しいため、無知である限りは彼らの主張を呑む以外の択が基本的に存在しない』といったところになる。反証できないなら消去法で主観的には真正寄りになるし、そもそも専門家の言うことを疑ってかかろうなどという人は少ない───というより、そもそも都合の悪い話以外は疑ってかかる理由が無いため、専門家の言うことは基本的にある程度何でも真と捉えざるを得なくなる。

 

『あの〇〇さんが言うんだから、その通りなんだろうな』といった具合だ。

 

 

むろん、専門家だろうが明らかな間違いを口にすれば看破されるだろうが、その誤謬が専門分野の境地であるがために誰にも検証されない可能性もあるし、反証できる有識者の視界に入ることなく、誤謬がそのまま真という扱いで終わってしまうこともある。誰も誤りを指摘できなけば、デマや誤謬は真実という扱いでまかり通る。

 

誰も不快にしない情報は誰にも検められることなく、デマが半ば真実と化す。

 

私がデマとフェイクニュースをネットに流す175の理由

 

 

小保方晴子とSTAP細胞

元理研の小保方晴子氏は、STAP細胞の存在を肯定した。『STAP細胞はありまぁす!』と。

 

彼女の発言に対する、当初の世間の反応は以下のようなものだったはずだ。

 

『はぇ~、理化学研究所の人が言うならSTAP細胞はあるんだろうな』と。

 

しかし、最終的にはSTAP細胞は再現不可能という方向性で話が決着した。数々の物的証拠や実際に再現できなかったことを含めて、彼女はほぼ確実に嘘をついたことがわかる。(絶対に嘘をついていたとも言えないが)

  

だが、あの件は彼女に対して証明が求められたからこそペテンと判明しただけのことであって、もしも彼女に再現が課せられていなかった場合、あのまま彼女の嘘が看破されることはなく、そして現在もSTAP細胞の実現可能性が否定されることなく、今も存在が有力視されていただろう。

 

 

一度『ある』と言ってしまったら、無いことを確定させる(反証する)までは基本的に『存在する』という方向性を持ってしまう。まるで、近代科学的に否定されるまでは広く一般的に存在を信じられていたスピリチュアルのように。

 

例えば幽霊。昔の人が『幽霊を見た!』と言い出した場合、科学の概念が無いためにそれを否定することができなかった。そのため、存在しないという根拠がない幽霊は存在するという扱いになり、幽霊をはじめとするスピリチュアルが何千年も信じられてきたが、現代は科学の発展と共にスピリチュアルが反証されはじめ、今やほとんど誰も信じてはいない。

 

 

否定の難しい概念や所説の言い出しっぺは肯定されやすく、そして伝染もしやすい。上流から流れ出た誤謬や嘘は、重金属が下流を汚染するかの如くに悪影響を及ぼすハメになる。

 

件の上級国民叩きも、忖度でないことがあらかた証明されるまでは、『上級国民パワーで忖度されている』という身勝手な推測を元にバッシングの波が広がっていったが、嘘を嘘だと見抜けない人が多い場合このようになってしまう。だから、デマの言い出しっぺというものは非常にズルい。他人に甚大な風評被害を与えるくせに、嘘が嘘だとバレても『あれ、間違ってたかぁ😵』で済むのだから。...もちろん悪質な場合は逮捕される場合もある。

 

 

推定有罪と推定真理 

ある意味で、今回の話は基本的に痴漢の話と似ている。

 

女性が『こいつ痴漢よ!』と叫んだら、問答無用で有罪(発言者が真)を前提に話が進む。いわゆる推定有罪。なぜなら、痴漢事案(有識者の論説)においては、被害者である女性(有識者)が嘘をつく(間違ったことを述べる)とは疑われないからだ。そうした背景があるため、やっていないことを証明(反証)するまでは、やったという前提(発言者が真)で事案の処理が進んで行く。

 

権威者が間違ったことを言わないだろうという前提のように、痴漢では『被害者である女性が嘘をついているはずがない』と周囲は考え、そのために、やっていないことを証明できない限りは痴漢をしたという扱いになってしまう。

 

 

とどのつまり、繰り返すようだが、反証されなければどんなデタラメやペテンも通用してしまい、真偽の検証が困難な言説はもっぱら正しいものとして受け入れざるを得ないのである。したがって、私たちはすごい人たちの語る知見を、概ねそういうものだとして受容するしかなかったりする。

 

だから例えば、NASAが『宇宙人はいまーす』と言ったら、事実がどうであれそういうことになってしまうし、量子物理学者が『人類はハイゼンベルグを踏みにじり、不確定性原理を乗り越えた。なぜなら...(以下難解な用語)』と発表したら、世間的な誤謬として人類はミクロな事象も正確に観測できることになってしまう。

 

 

権威性が大きければ大きいほど、専門的であればあるほどに、そのレベルに追従できる者は少なくなり、それと同時に権威性を根拠に疑うこともなく、仮に誤りであった場合でも看破されにくい。

 

ということは、ある程度ニッチな分野での有識者(パイオニア)になることができた場合、わりとセーフティーな状態で恣意的にデマを流布させることができるのかもしれない。誰も見抜けない嘘とは、もはや半分ばかり真実なのでさうらふ。

 

誤謬を認識するのは真理を発見するよりずっとやさしい。誤謬は表面にあり、その始末は簡単だ。真理は深部にひそんでいて、だれもが探究できるとは限らない。

 

───ゲーテ