消費者意識の強い人たち

消費者意識の強い人たち

 

少し前、件の某某の某所で "他人を見限った話" というテーマのポスト(一種のハッシュタグ)が流行していた。『相手が〇〇だったから見限った』『△△をしたから切り捨てた』といった具合だ。それを見て感じたのは、増幅した消費者意識への嫌悪感と、得も言われぬ恐怖。他人を見限った話を意気揚々と共有して承認欲求を満たし、いかに痛快な話が出てくるかとはしゃいでいる光景は、なんとも言えずおぞましかった。

 

こんなものは、ヤリチンが『あいつのマン〇くせーから肉〇器として使えねーし別の女に乗り換えるわー、ギャハハ!w』と身内でワイワイ盛り上がっているのと大差ない。

 

こうした冷酷な一面を後ろめたいと感ずることも無く、匿名はおろかコテハンのSNSで嬉々として、また大っぴらに堂々と語られている部分にこそ、時代の変わり目が垣間見えているような気がしてならない。

 

 

『選別する権利は自分にある』

他者から受けるサービスや創作物(コンテンツ)に、文句や注文をつけてばかりいる人を見たことはないだろうか。

 

  • 『コレのここがダメ』
  • 『つまらない』
  • 『使えない』
  • 『(自分の都合全開で)もっとこうしろ』

 

あるいは、ツイッターで拍手喝采を浴びがちな『~なダメ男(女)を見限ってやった / ~な男(女)はさっさと鞍替えした方がいい』系のイキりスピーチにも、己にこそ他人の取捨選択権があるという強者の意識が見え隠れしている。そして、その意識はとてもナチュラルなものだ。

 

このような辛口レビューや、批判およびダメ出しの多い彼らのような人種は消費者意識が強めだ。 消費者意識が強い人というのは、『自分が他者からの良質なサービスを享受して然るべき』『自分こそが選ぶ権利を持っている』と思っていて、彼らはお客様感覚が人一倍強い。俗に言うモンスターペアレントもこの類だ。そして、お客様意識が強化される背景には、そこまで肥大化するに足るだけの理由がある。

 

私が今回取り上げるのは、人間関係の中に存在する消費者意識。モノではなく、人に対する消費者意識について簡単に考えてみたい。

 

 

モテで肥大化する消費者意識

異性的な消費者意識を左右する要素にモテ云々がある。

 

例えば、リアルな話としてJKという種族はすべての女性の中で最も株が高く、厨房から同年代から爺さんまでのほぼ全ての男性の注目をモノにしているし、中には大金を払ってでも関係を持とうとする人たちが大勢いる。いわゆるJKブランドだ。

 

そのように、JKは仮に内面的に秀でていなくとも、 "若い" という外面的要因だけでチヤホヤされることができ、JKの中でもとりわけ容姿に優れる者は引く手数多だ。中身が良ければなおさらモテる。よって、男の在庫に困ることはなく、その中でもベースとなる良識や客観性が欠如している者は、『自分が男を選んで消費する側だ』という強者的な───搾取側的な消費者感覚を骨の髄まで染み込ませている。

 

しかし、だ。最大の武器であるその若さはいつまでも続かない。いずれはシワが増えたおばさんになり、その時には過去のようにチヤホヤされることもない。だからといって、自分の価値観の底に刷り込まれ、そして染み込んでしまった消費者意識が消えることはない。状況は退行する一方であるにもかかわらず、消費者の意識は変わらないままなのだ。

 

この場合は得てしてフラストレーションが発生する。

 

  • 『歳を取ったらまるで男たちの態度が違う!』
  • 『なんで若い娘ばかりをチヤホヤするの!?』
  • 『男は年齢を見るクズしかいない💢』

 

この手の人は年を取ると一転して被害者面をし始め、男性を貶し始める。こうしたお局様体質の人たちは、若い頃はモテモテで男を選り取り見取りで拾い上げていたのだろうと思う。

 

そして、いざ年を取ると、男たちはくるりを態度を豹変させた。当然イライラするに決まっているし、若いというだけでチヤホヤされている職場の新人に当たりたくもなる。『若いだけで中身空っぽのくせにチヤホヤされやがって、あのメスガキ舐めてると潰すぞ...』と。

 

 

また、婚活において、募集要件に厳しい制約を課しているスクリーニングタイプも消費者意識が強い。例えば、没個性な女性が年収1,500万の伴侶を希望していたとしたら、あるいはハゲデブチビのおじさんが美巨乳ピチピチ女性を所望していたとしたら、それを見た人は『身の程知らずだな』と思うだろう。

 

しかし、自分が他人を消費して当然と思っている人は、そうした常識はずれのことすら当然だと思っていて、自分は自分が望んだ相手と結ばれると信じてやまない。おそらくは、この手の人も昔はモテていたのかもしれない。そう、かつては消費者だったのだ。

 

 

自身の価値を年齢に依存している女性は、加齢とともに結婚相手の基準を引き下げざるを得なくなり、フラストレーションを覚える。過去、消費者だった強者の自分が───アレコレ条件を付けて他人を篩にかけていた自分が、加齢とともにジリジリと消費される側に回り、そこに圧倒的な不満と不快感を覚える。他人を選別する側にいた自分が選別される側に回る精神的苦痛。プライドの損傷。他人を拾い上げるクレーンゲームで遊んでいた自分が、いつしか筐体の中で拾い上げられるのを祈る側へ。

 

人は快楽や生活の基準を引き下げることに苦痛を感じる。だから、一度身に付いた消費者意識が覆されるその時に多大なストレスを感じることになるし、たいていの場合はそこから目を逸らし誰かのせいにする。

 

『自分が選り取り見取りで選別する側だったのに、今となっては品定めされる側になってしまった』という悲劇こそが、増長した消費者感覚における泣き所だ。選ばれる理由が自己の普遍的でない性質───人間性的でない部分に依存している者は、いずれ上記のように泣きを見ることになるだろう。若さはその最たるものである。

 

だから、異性関係のみならず、単なる対人関係においても、他人が自分を楽しませて当然だと思っている消費者体質の人はいずれ不満を抱えることになる。

 

 

消費者体質とは例えばこうだ。

 

  • 『他人は自分を楽しませるべき』
  • 『私が他人に必要とされて当然』
  • 『私はみんなに好かれて当たり前』
  • 『私が他人を選ぶ側だ』

 

飛びぬけて傲慢だが、しかしこうした意識をナチュラルに有する人間は実際に存在している。この手の人は他人の要請に応える際に、『~してやった / してあげた』という上から目線の態度を取るからすぐにわかる。

 

  • 『誘われたから行ってやった』
  • 『相手してやった』
  • 『付き合ってやった』
  • 『遊んでやった』

 

完全に消費者目線で、自分が相手より上だと思って疑わない傲慢な言動と思想。その上お客様体質なもんだから、注文や文句やダメ出しや駄々コネが多く、不満があるとすぐに "見限る" し、周囲はそれを聞き入れるべきだと思っている。

 

そのスタンス、果たしていつまで持つかな。

 

 

何が『結婚してやった』だ

私はある女性にひどい嫌悪を抱いたことがある。

 

誓ってまったくどうでもいい無関係な女性だが、その人は周りに『プロポーズされたから結婚してやった』と吹聴していた。あくまで自分が相手より優位であることをアピールしたくてしょうがないらしい。その人の消費者意識の強さはかねてより強烈に感じてはいたが、まさかそこまでとは思っていなかったし、その発言は旦那の事を思うと存外に不愉快だった。 

 

そこでふと思った。私がその人物の言動にひどく嫌悪したということは、私自身がその感覚を有しており、フロイトの言うところの "シャドウ" を感じてしまったのかもしれない。つまり、消費者意識の強い人に嫌悪する私自身が、消費者意識の強い人であるという説が浮上してしまっている。

 

けれども、私の表層意識的にはこの考えに否定的だ。なぜなら、私は他人を消費して消費者意識が培われる経験───強者の選り取り見取りをした覚えがないし、消費者感覚が肥大化する動機が無い。私には、ヤリチンパリピが女性を穴や某処理機扱いするような、あるいはモテる女性が男性をアクセサリーやATM扱いするような、他人をモノ扱いするに至る強者的な経験が無い。ゆえに、私がナチュラルに強者的な消費者感覚を有しているとは考えにくいのだ。

 

 

いずれにしても、内面的スキルではない外面や物的なもので以って他人にヨイショされている人物のそれは、いずれ失われる可能性が高く、それが失われた暁には消費者としての立場を失い、過去と現在のギャップに苦悩することはまず間違いない。

 

 

一度染み込んだ傲慢な消費者感覚は、そう簡単には変えられない。今現在、自分が絶対的な消費者であると自負ないし錯覚している人は、この際自省してみても良いのではないだろうか。

 

『私は他人を消費しているのだろうか。そして、他人を消費することを当然だと思ってはいないだろうか』、と。

 

 

インターネットと消費者感覚

余談になるが、インターネットはリアルとは異なり、様々な人たちのコンテンツを概ねタダで縦横無尽に消費することができるため、良くも悪くも消費者感覚が増長しやすく、消費一方の分際であるにもかかわらず『あれはダメこれはクソ』と、お客様感覚のレビュワーやわがままクレーマーになりやすいという欠点を抱えている。

 

有料のものに文句をつけるならまだしも、無料かつ手前のために公開されたものでもないコンテンツへ自分勝手な都合を押し付けたり、クリエイターにタダでコンテンツを欲求するようなふざけたユーザーが一定数存在するという悲しい現実。

 

例えば、しばらく前に若干話題になっていたが、ツイッターのイラストレーターへ向けられた『日常ツイートすんな。絵だけツイートしろや』という発言にも、自分勝手な消費者感覚が見え隠れしている。イラストレーターは絵を公開するボランティアだとでも思っているのだろうか。何様か知らないが本当に舐め腐っている。

 

しかし、残念ながら今後はこの手の人が今以上に増えていくと思う。今や無料サービスばかりな上に、コンテンツがオーバーフローしているしなぁ。だからこそ、私はこの手の傲慢な意識を備えないよう注意を払いたい。

 

 

強者が強者に相応しいだけの消費者意識を振りかざす分には何の異議もない。持てる者には好き勝手に取捨選択をして消費する権利と力がある。メイウェザーは筋肉で稼いだ札束でストリッパーに囲まれているべきだし、ジョブズは南青山で金のカイエンを乗り回すにふさわしい。

 

しかし、外面的かつ一過性のものだけを以って消費者意識を肥大化させた人間というものは、多くの人の目から見てきっと哀れに映る。

 

消費者意識だけが肥大化した人間の最たるものと言えば、ドラえもんに登場するのび太君だろうか。のび太君は自分では何もできないくせに、ドラえもんというチート提供者の袖でイキっていて、そのくせ文句や注文が多い。消費者意識の強い勘違い人間の典型だ。

 

 

他人も、自然も、社会も、万物も、いずれもあなたを楽しませるために用意されたものではないのだし、神羅万象はあなたのママではない。いかにバブみを感じようとも、決して自分のママにはできないのである。