ネット上で見知らぬ他人を矯正しようとする圧倒的善行

ネット上で他人を矯正しようとする行為のナンセンスさ

 

リアルにも一定数存在するが、ことネットには、しばしば他人に食って掛かって自分の正しさを押し付けようと、言いくるめようと、あるいは論破しようとする忙しない人たちがいる。

 

私はこの手の行為にまるで興味がなく、願わくば遺骨になるまでこれらの行為から蚊帳の外でいたい。なぜなら、言うまでもなく無意味であり、自己満足の極みだからだ。

 

 

リアルで他人を矯正しようとする努力には、まだ幾らか効力を発揮することはあるだろう。間違っている身近な人にその間違いを指摘することで、自分に害が及ばなくなったり、ある時はメリットが生じたりする。お互いがwin-winなら、これは健やかなる矯正と言っていいだろうし、この場合に限っては自己満足に留まらない。(上手くコトが運べばの話だが)

 

しかし、ネット上のそれに関しては、まるで役に立たない。

 

 

例えば、私が他者の気に入らない発言を見かけたとして、『こいつの考えを叩き直してやる』という傲慢な理由で口を出しに行ったとする。その人へコンタクトを取り、持論を言って聞かせ、相手の間違いを正そうと───気に入らない考えを矯正しようとする。

 

この場合起こり得るのは以下の主に3パターン。

 

  1. 『あーはいはい(変なのに絡まれた)』と受け流される
  2. 相手がこちらの言い分を聞き入れる
  3. レスバトルもとい口論になる

 

ご想像の通り、大抵の場合に発生するのは3だ。正誤の云々はさておき、相手は受け入れずに反撃してくる。当たり前だ。

 

赤の他人から自分の落ち度を指摘されて素直に受け入れられる人など、そうそういるものではなく、大抵の人は指摘された内容よりも、『自分が文句を言われた』という部分に強く憤慨し、冷静な話し合いの場が成立しない。列に横入りした人を注意したら逆ギレし出す構図と同じだ。

 

あとはこういうの↓か。

 

 

 

ゆえにこの手の争いは、どちらかが折れるか呆れるか、あるいは興が冷めるまでグダグダ継続されるだけで、あとはキリの良いところでの自然消滅を控えるのみとなる。そして、結局残るのはドロドロした禍根だけ。事象は何も変わらない。

 

ネット上でのダメ出しなど、たいていの場合、お互いが以下のようにイライラするだけの結果となる。

 

物申す側:『こいつ間違ってるくせに言うこと聞かねえ。バカがよ💢』

物申された側:『誰だよテメエ、急に現れて好き勝手言ってんじゃねーぞキモすぎマウント取ってくんな💢』

 

したがって、間違ってる(と思う)赤の他人なんて放っておくのが吉だ。

 

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

 

───司馬遼太郎

 

 

では今度は、相手を矯正できたとしよう。どこに住んでいるかもわからない、顔も名前も知らない相手の人が、自分の誤りを認めて方向性を変化させました。矯正チャレンジ成功です。

 

で、だからそれが何になるのかと。

 

その人を変えることで、その人を矯正することで何か意味があるのだろうかと考えた場合、おそらくは十中八九無意味。差し入れが届くわけでも、表彰をされるわけでも、自分の生活環境が改善されるわけでもない。あるのはただ、『見知らぬ他人を意図する方向へ従わせた』という僅かな達成感と、自己肯定感の強化。要は自己満足でしかない。

 

しかもだ、自分が食って掛かった相手と同じような考えをしている人間は、まだ世の中に数万数十万数百万といるだろう。自分が矯正した相手は氷山の一角に過ぎない。じゃあ何だ、"残りの彼ら" も先と同じように言い負かしてやろうとするのかと。叩きなおしてやろうとするのかと。同じような人間はまだ山ほどいるぞ。いつまでやるんだ。何人やるんだ。たまたま目に付いた範囲だけを逐一矯正するのか。

 

馬鹿馬鹿しいにも程があるし、徒労でしかない。

 

 

世話を任されてもいない見知らぬ他人を矯正してやろうなど、ただのエゴであり思い上がりも甚だしい。自分の口出しが相手のためになるという根拠があるならまだしも、ただ漠然と誤りを指摘して矯正を迫るべきではない。相手もお節介を焼いてほしい───間違いを正してほしいなどとは思っていないだろう。

 

私も含めて大体の人は、詭弁だろうと何だろうと自分の心を落ち着けさせてくれるものに縋っているから、たとえそれが誤っていようと、他人にとやかく言われたくないと思っているものだ。

 

例えば『パリのノートルダム大聖堂が燃えたのは安倍のせいだ!』と本気で叫んでいるアベノセイダーがいたとしても、いちいち指摘するべきではない。本人がそう誤ることでしか平常心を保っていられないのなら、いっそ本人の中で永遠にそういうことにしておくべきだろう。当人の心の支えを、横から突然現れて取っ払ってはならない。そんなものは、幼い女の子からオモチャの人形を取り上げるかのような、いわばただの嫌がらせだ。自分が気持ちよくなるために、つまらない正義や正論を振りかざして(自分の主張が正論であるという保証もないが)他人を不愉快な目に遭わせているだけだ。

 

 

そのような理由から、私は自分に害を及ぼさない相手ならば、どれだけ詭弁や落ち度があろうと直接的には何も口を出さない。仮にそれが私に対する誤解や詭弁の難癖であったとしてもだ。

 

リアルの知人ならともかく、ネット上の赤の他人が真面目に『1+1は3! 2だと思っているお前らはバカw』と詭弁を発していたとしても、黙って放っておけばいい。間違っていると指摘したところで自分には何のリターンも無い上に、相手が忠告や指摘を有難がるはずもないからだ。自分の正義を乱されて憤慨しない人間など、そう多くはない。

 

 

私だって好きな二次元の女性で高揚しているときに、横から『それ絵じゃん』と言われたら、『ムキー💢』と癇癪を起こす。好き好んでで狐につままれている人間に対し、いちいちそれを教えてやる必要はない。そんな正論求めてないんだよ。

 

 

見なかったことにしよう

ネット上で他人を矯正しようとしている人たちの気持ちがわからないと言えば嘘になる。確かに私も、『こいつに一言浴びせて泡吹かせつつ、間違いを認めさせてやりたい』と思う時がないでもないからだ。だが結局それをしない。

 

他人に口を出しそうになったときは、いったん落ち着こう。外人が『イージー...イージー...(落ち着け落ち着け)』と自分へ言い諭すように、『ignore...ignore...』と唱えるべし。ともかくかまってはいけない。怒りや使命感・正義感をお鎮めなさって。

 

目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、相手の間違いを指摘することはできるが、これはあからさまに相手を罵倒するのと何ら変りない。

 

そもそも、相手の間違いを何のために指摘するのだ?

相手の同意を得るために?

 

とんでもない。相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食らわされているのだ。考えを変えようなどと思うわけがない。当然、打ち返してくる。

 

───デール・カーネギー